新愛本変電所
2000/10/15 追加

とうとう、黒部幹線の起点、新愛本変電所まで来ました。初めての富山県です。 青海町(現・糸魚川市)からR8で富山県の朝日町へ、その後はひたすら宇奈月方面の標識に従い車を走らせ、トンネルを抜けると、変電所が、車を停めて左側を見ると、

上野さん提供

上野さんから戴いた写真の風景がありました。(写真は上野さんから戴いたものです。)私が撮ったのは下です。

新愛本変電所から見た黒部北幹線28号

新愛本変電所での一枚目が上野さんと同じロケーションでした。

黒部北幹線28号

鉄塔のアップです。鉄塔番号は双眼鏡で確認したところ、情報通り、28番でした。足元に行けなかったのが残念です。

西側(正確な方角は不明です。)は富山地方鉄道の線路なので一周は出来ないので3/4周しました。

関西電力柳河原線と北陸電力江口線を繋いでいる鉄塔

南側には上野さんからも戴いている、関西電力柳河原線と北陸電力江口線を繋いでいる鉄塔です。

関西電力黒部幹線と柳河原線

上の所から少し奥に行って南側を見ると、左側に関西電力黒部幹線(ジャミラ)、右に柳河原線(ガントリー) がありました。両方とも茶色塗装でした。
田んぼは田植えの真っ最中でした。
上野さんから同じアングルからのを戴いています。(未公開です。)

鉄塔の足元は田んぼへの入り口

前述の柳河原線と江口線を繋ぐ為の鉄塔の足元は田んぼへの入り口になっています。(^_^)

新愛本制御所

東側(道路側)には、新愛本制御所と大きく表示されていました。

新愛本制御所の門

同じく東側(道路側)の門です。後ろのほうに写っている機器にも信濃川水系ツアー でも紹介したように帽子が被せられています。

愛本連絡線

変電所と反対方向に目を向けると、黒部川対岸の愛本変電所とを繋いでいる愛本連絡線の鉄塔がありました。 建物は、宇奈月町役場(当時、現在は黒部市役所宇奈月庁舎)です。

愛本変電所

黒部川対岸の愛本変電所です。水圧管路が無ければ発電所とは思えないような建物です。

新北陸幹線甲-1号

北側(駅入り口側)に回ると、烏帽子型の新北陸幹線甲-1号鉄塔がありました。双眼鏡で銘板を確認すると新北陸幹線甲(愛)となっていました。

北側(駅入り口側)の門

北側(駅入り口側)の門です。ここまで来て、『上野さんはこちらの門を撮影されたのか』と分かりました。

名所案内

富山地方鉄道愛本駅は無人駅だったのでホームに上がってみると、名所案内に駅横と書かれています。 発電量882,500[kW]の内275,000[kW]を大阪へ送電?  関西電力黒部川電気記念館のホームページ(リンク切れ) によると、新愛本制御所で中部電力と北陸電力へ融通しているとのことですが、融通量の方が多いようです。 更に、中部電力と言うことは、やはり黒部北幹線は中部電力なのかもしれません。

新愛本変電所の看板

こちらもホームからです。駅と変電所の境界はフェンスです。後ろに見える鉄塔は新北陸幹線71号鉄塔です。

新北陸幹線の鉄塔

ホーム反対側の山の上には一回線を分岐させている新北陸幹線の鉄塔があります。手前が新愛本変電所です。 右側回線の変電所側のジャンパーは繋がっていません。

新北陸幹線71号

駅を出て、山の上の分岐鉄塔から電線を受け取る新北陸幹線71号鉄塔を撮りました。 一回線のみが変電所に繋がっています。 繋がっているのは、分岐鉄塔でジャンパーが外されていた側です。ジャンパがある方は変電所に繋がっていません。
ということは、どちらも変電所には繋がっていないようです。

新北陸幹線

左側の電線を直角に曲げているのは分岐鉄塔から電線を受けている新北陸幹線、右の烏帽子型は新北陸幹線(甲)です。 烏帽子型が甲なので、左側の鉄塔は乙なのでしょうか。未確認です。

上の写真で新北陸幹線はどちらも変電所には繋がっていないようですが、とすると烏帽子型には電気が流れていないのでは と思われるのですが、ジリジリと音がしていましたので別系統(音沢線?)から供給しているようです。

変電所内の機器

新北陸幹線に繋がっている変電所内の機器ですが何物なのかは分かりません。格好が面白いです。

関西電力黒部幹線53号 関西電力黒部幹線53号銘板

変電所を見た後、宇奈月温泉の方へ向かい、気になった関西電力黒部幹線を確認しました。

関電のマークと黒部幹線の文字、異なる電力会社で同じ線名が存在するのは珍しいのではないかと思います。 (そんなことはないのかな)

2000/4/30 富山県下新川郡宇奈月町(現・黒部市)にて


情報を頂きました。2000/10/15 追加

もともと東京電力の黒部幹線と黒部北幹線、関西電力の柳河原線(山)は、一つの送電線で、名前を「東京幹線」と言ったそうです。

昭和年、当時の日本電力という会社が、黒部川水系に初めて作った水力発電所、柳河原発電所(今はもうありません)の電気を東京に送るため、 作った送電線が東京幹線で総亘長51kmの日本一長い送電線だったそうです。

そして日本電力が黒部川水系の開発を進め、黒部川、同第二、第三発電所を建設し、現在の関西電力の黒部幹線は、 これらの発電所の電気を送るため、昭和12年に作られたものだそうです。

その後、第二次世界大戦とともに日本電力は日本発送電という会社に吸収合併され、終戦後、この日本発送電が現在の東京電力と関西電力に分割 された際、この送電線も現在のように東京電力と関西電力に分割されたそうです。

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