新愛本変電所(情報)
'99/9/25 上野さんから追加の情報をいただき、加筆しました。
'2000/3/11 上野さんから写真を頂きましたので追加しました。

黒部幹線の基点、新愛本変電所はさんに教えてもらったのですが、 当分、行けそうにありません。(^^; G.Wか夏休みに行くぞ〜 が、情報を寄せてくださる上野さんが行かれたそうで その時の様子をメールでいただいたので、紹介させていただきます。

新愛本変電所は「愛本駅」徒歩0分。駅前名所案内にも記載されています。 北陸地方の154[kV]系統図を見ますと、確かに新愛本変電所から東京へ電線が伸びていますので、 周波数転換設備があるのではないかと見に行ったのですがそのようなものは確認出来ませんでした。 この変電所の275[kV]系統には前に紹介した新北陸幹線があり、154[kV]系統には北陸電力「江口線」、関電「柳原線」の里線と山線と思われる線、そして「黒幹」(黒部幹線の事と思われる) 「黒北」(黒部北幹線?)が確認されました。

上野さん、いつも貴重な情報をありがとうございます。m(__)m

上野さん提供
新愛本変電所の門です。

上野さんからの追加情報です。

新愛本変電所に接続している送電線は見た限り、8系統あり275[kV]側に烏帽子型の新北陸幹線(甲-1号)昭和28年 同じく烏帽子型の音沢線 がありました。

上野さん提供















我が国で始めての超高圧送電線275kV、烏帽子型の新北陸幹線甲-1号鉄塔です。

それから 新北陸幹線の山側に当たると思われる線が1回線接続されていました。
新北陸幹線は有名な黒部第四発電所からの電気を 送っています。見た所、2回線の内1回線がこの変電所に立ち寄っているようです。
それから154[kV]側に、それぞれ2回線の黒部幹線(54号)、柳河原線(28号?こちらが里線)があり、 もう一つの線も変電所の引込口の名板から柳河原線(こちらは山線)と判断できました。
さらに、柳河原線の山線から北陸電力の江口線に接続されていました。

上野さん提供









柳河原線(山線)の引きこみ鉄塔です。
『第1回世界鉄塔調査学会』でも調査した、中東京変電所北側にあった平らな鉄塔と良く似た鉄塔がみえます。
北陸電力の江口線につなぐ為に、柳河原線(里線)の下を通るので,このようなかたちになっているものと思われます。
また手前側の鉄塔はなぜか脚が一本だけ構外に有ります。

さらに、黒部川の対岸にある小さな愛本発電所と結んでいる新愛本連絡線があり、最後に正体不明の 2回線の門型鉄塔(20号?)がありました

上野さん提供

送電線接触防止用ワイヤー?の向こうに 謎の鉄塔が建っています。 なお、この鉄塔の真上に見える鉄塔が江口線で、その上に脚だけみえる(元の写真では全体が映っていますが・・・)鉄塔が275kV音沢線です。


さて山線、里線ですが、これはもともと一本だった送電線の途中に変電所が割り込んだ場合に発電所に 近い方を山線と呼ぶのだと思います。
今回の柳河原線も柳河原発電所からの電気を笹津開閉所に送っていますが、そこに新愛本変電所が 割り込んできたのだと思います

新愛本変電所に接続している送電線のなかで、関西電力黒部幹線54号鉄塔には昭和12年2月と書いてありました。 新北陸幹線甲-1号鉄塔が昭和28年ですからかなり前から、ある事になります。
また新北陸幹線の「山」線にあたる線はこの変電所の前で分離し一本だけが新愛本変電所に接続されていましたが、 この鉄塔は71という番号がありました。
また柳河原発電所が出来たのは昭和3年12月だということでここには50Hz、60Hz両方の発電機が設置されたそうです。

いろいろ、調べてみました。富山県政策情報誌 でるくい今こそ、産業育成を関西電力 黒部川電気記念館 電源開発苦闘の歴史 等によると、最初から50Hzの電気を東京方面に送るようになっていたようですね。
宇奈月町HOMEPAGE 電源開発(リンク切れ)によると、 柳河原発電所は既に無く、新柳河原発電所になっているので、黒部川水系の何処の発電所に、50Hzの発電機が設置されているのでしょう。
関西電力黒部幹線と言うのは、関西電力設立までの経緯から関西電力所有になったのでしょうね。
う〜ん、ますます見に行きたくなりました。でも、これから寒くなって雪の中を行くのはキツイから、来年の春ですね。


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