黒部幹線

2001/4に黒部北幹線が運用停止になったそうです。 2001/8の時点では、特に変化が見られなかったのですが、2002/4/30に新町開閉所から青海町(現・糸魚川市)まで確認したときには一部で碍子、電線が外されていました。

運用停止を確認出来た所には運用停止後の写真を追加しました。

運用停止前に新愛本変電所まで確認出来たのは幸いでした。 10年後ぐらいに再度訪れて見たいです。

長い間、ご苦労様でした。黒部北幹線


子供の頃、学校に行くとき、遊びに行くとき、小学校の窓から、いつも見ていた黒部幹線 皆様からいただいたメールの情報をもとに追いかけました。

JAMMITさん、上野さん、さんから いただいたメールを引用させていただきます。

JAMMITさんから

起点は私も確認していませんが 長野の白馬付近(郊外)で黒部北幹線という鉄塔を確認しています
おそらく同じ系統と思われます、いずれ調べてみたいです
終点は昭島(変)より先方の桜ヶ丘線が川崎市麻生区百合ヶ丘付近で 電発 西東京(変)起点の柿生(かきお)線154kv 4回線の1号 2号線に 接続されます
柿生線はNo48より川崎火力線と改名し横浜市鶴見区の京南(変)へ 送られています

柿生線との接続は確認しました。後日、公開させていただきます。

ところで京北線はその昔、黒部幹線京北支線と言う名称だったことが判明しました。
黒部幹線が青梅(開閉所)(いまは無く、現在の豊岡(変)より西)で 分岐し支線は京北(変)本線は京南(変)となっていたようです。

豊岡(変)から狭山線に分岐して、追って行くと京北線につながりますね。本当に奥が深いですね。

上野さんから

ちなみに黒部幹線は現在は中の沢発電所のあたりから新秩父開閉所までを結んであるようです。

新秩父開閉所も見てきました。(^_^)

さんから

黒部北幹線、黒部幹線は大正から昭和初期にかけ建設された送電線で 黒部幹線は、黒部川を発端とし北は黒部北幹線から黒部幹線へと延々1500基もの支持物亘長をなす、送電線であります。
新愛本変電所が黒部北幹線の最初の鉄塔でNo.28号が始まりです。 No.28〜新町開閉所までが黒部北幹線と呼び、新町開閉所から旧上田鉄構の手前までガントリー鉄塔(門型)上田から通常のA型鉄塔で東京まで連なっております。
建設当初は北アルプスを越え、長野県の白馬村に送電線を結ぶ計画があったようです。 これは安曇鉄構が有ったところのがいしを支持するプレートが北アルプスを向いていた箇所があったようです。 うわさでは、建設を始めたが冬期間のあまりの悪条件で倒壊等の事故があり、計画を断念したようです。

宇奈月町から白馬村、信州新町となれば、北アルプスを越えていると思ったのですが、親不知から糸魚川を経由してくるとは まったくの予想外でした。

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